『承認欲求を捨てれば、人生は自由だ!』アドラー心理学入門編
こんにちは、なすびです。
今日はアドラー心理学についてです。
テーマ
全ての悩みは人間関係?アドラー心理学について書いていく
- アドラー心理学ってなんだ?
- 全ての悩みは人間関係だ!
- 劣等感こそ悩みの源
- 人の期待に答えたいはストレスに!
- 他人に嫌われてもいい!という勇気をもとう!
アドラー心理学ってなんだ?
皆さんは「嫌われる勇気」という本ををご存知でしょうか?自己啓発の源流とも言われているアドラー心理学をわかりやすくまとめた本になっておりまして、僕自身病んでいた就活中にお世話になった一冊であります。
そんなアドラーは心理学の三銃士(ユング、フロイト、アドラー)みたいなポジションにいる方でして、デール・カーネギーさんというベストセラー作家から「一生を費やして人間とその潜在能力を研究した偉大な心理学者」という評価を貰ってるすごい人なんだと。
以前自己啓発本に関してはこの2冊で十分なのでは?みたいな話を書きました。自己啓発本って基本的には認知行動療法の内容を詰め込んだみたいな内容になっているので、いろんな本を読み漁るのなら、認知行動療法の本を一冊買えば解決するんじゃないかということでしたね。
そんなアドラー心理学も自己啓発本の一つになりますが、認知行動療法の要素を多く含んでいる自己啓発本になるので、認知行動療法の入門書としてはなかなか良いものだと思います。自己啓発の源流とも言われるくらいなので、下手な本を転々としてお金をかけるよりは、この一冊から入ってみるといいかもしれません。
そんなわけで今日はそんなアドラー心理学の中でも印象的だった内容について、書いこうかと思います。一年ぶりに読み返して、今と昔で思うこともだいぶ変わりましたので、その辺についても感想を書いていく感じでやっていきます(`・ω・´)
全ての悩みは人間関係だ!
まずはアドラーが残した有名な一説から紹介していきましょう。アドラーは「人間の悩みは、全て人間関係である」と言い切っておりまして、とにかくどんな悩みも元をたどれば必ず人間関係の悩みが存在しているとのこと。
例えば「お店のパンが売れない」という悩みであれば、
- 売れないと店長に怒られるかも
- お店が潰れて仕事がなくなれば、惨めな思いをするのではないか
- 仕事がなくなれば、家族を養えない
といった悩みが根本的に眠っているということなんですね。パンが売れないと「店長との人間関係が悪化するかもしれない」という悩み、また仕事がなくなって惨めな思いをするのは「周りはしっかり働いてお金を稼いでいるのに」という他人との比較、「家族に顔が合わせずらい」といった家庭関係の悪化など、とにかく人間関係の悩みが根柢にあるからなんだと。つまりどんな悩みでも深ぼっていけば、人間関係の悩みがベースになっているということなんですね。
じゃあ「腰が痛い」みたいな悩みはどうなのかというと、
- 周囲の人間は腰が痛くないのが普通。だからこそ悩みが生まれる
とのことでして、「なんで自分だけ腰が痛いのだ、、、というところに他人との比較がある。だから根本的には人間関係の悩みだ!」ということみたい。アドラーの理論からいくと、世の中のみんなが腰を痛めていれば、たしかに痛みは感じるけれども、腰痛にそこまで悩むこともない!ということなんですな。ちょっと強引な気がしますが、そう言われればそんな気がしなくもないかなって感じですね。
だからこそアドラーによれば
全ての悩みを消し去るには、宇宙の中でただひとりで生きるしかない
という言葉を残しております。全ての悩みの根本が人間関係にある以上、とにかく人間関係を意識しなくてもいい環境に身を置かないと、悩みは消えないということみたいですね。
ちなみに無人島に住んでも「今頃みんなは楽しくやってるんだろうな〜」みたいなことを考えてしまったら、結局人間関係に悩むことになるので、宇宙みたいな異次元空間に行くしかない!といった表現しております。それだけ人を意識することでストレスが生み出されているわけなんですね〜。
実際にストレスの原因って家庭環境とか、職場の人間関係とかがほとんどだと思いますので、「ストレスの原因は人間関係だ!」という点に関しては、自分も賛成であります。すべてのストレスの原因と言われると微妙ですけど、特に現代はSNSやメディアの分野が発達して、他人との比較もしやすい環境にあるので、なんだか人間関係のストレスに拍車が掛かっていそうであります、、、(・_・;)
しかしながら人間関係の悩みをなくすために、宇宙に行ったり、人との関わりを止めるのは現実的ではないので、SNSを使用頻度を減らして、他人と比較する状況を減らすような対策をしてみると良さそうな感じです。
劣等感こそ悩みの源
人間関係の悩みは人によって様々かと思いますが、その中でも「他人より劣ってる感覚」が悩みの源になっている可能性が大きいとのこと。実際に普段の生活の中でも、「あいつは稼いでいるのに、俺は全然だ」とか「みんな痩せてるのに私は太ってる」みたいな、劣等感でストレスを感じることも多いのではないでしょうか。周囲の人と関わっていれば、どうしても他者と自分を比較してしまいますよね。
しかしながらアドラーによれば、このような他社との比較で感じる劣等感は自分の思い込みでしかないとのことなんですね。
例えば「あいつは稼いでいるのに、俺は全然だ」という悩みは、「自分はあいつよりは家族との時間をたくさん過ごせている」と解釈を変えることができますし、「みんな痩せてるのに私は太ってる」ではなく、「私のふくよかな体系は、相手を和ませることができる」といった解釈が出来れば、そもそも劣等感という悩みはなくなるということなんですね。
アドラーによれば
われわれを苦しめる劣等感は「客観的な事実」ではなく、「主観的な解釈」だ。
〈中略〉
しかし主観にはひとつだけいいところがある。それは自分の手で選択可能あることだ。
とのこと。
劣等感は自分が他人より劣っていると思い込むことによって生まれているものだからこそ、ちょっと考え方を変えるだけで劣等感そのものがなくなるということですな。無職になっても「俺は世の中の役に立っていない」ではなく、「俺は自由だ!」なんて解釈して堂々と生きれば、悩みもなさそうな感じであります。倫理的にはちょっとあれですけどね。
良い劣等感と悪い劣等感
また上記に書いてきた通り、他人と比較して劣等感を感じる場合もありますが、理想の自分と比較して劣等感を感じることもあるんだと。料理人の例で言えば、「こんなことでは料理人としてまだまだだ!」、「もっと修行しなければ!」といった感じですね。自分の中の劣等感も悩みのタネになると考えられておりまして、特に自分の目標が高かければ高いほど、自分の中の劣等感に苦しみやすいみたい。確かに100点を目指して毎日6時間勉強したのに、70点しか取れなかったらそれは凹みますよね(・・;)
しかしながらアドラーは自分の中の劣等感は良い劣等感であると主張しております。自分には学力が足りないと感じて、勉強に勤しむことは望ましいことですからね。逆に他人と比べたときの劣等感は悪いものと捉えております。「あいつは勉強ができるのに、俺は全然だ。」となってしまうと、なんだか胸が苦しいですもんね〜。
アドラーによればこの2つは違いは、競争の意識があるかないかとのこと。
良い劣等感
周りを意識せず、今の自分から前に進もうという思いが根柢にある。競争の意識がない。
例:「最近は太ってきたから3キロ痩せよう」
悪い劣等感
周り意識するので、自分より上の存在がいると負けている、劣っているという感覚が常につきまとう。競争の意識がある。
例:「周りの人は痩せている人ばかり、私も痩せないと」
不健全な劣等感はどうしても他者との比較という人間関係がつきまとうので、ストレスを感じやすいということですな。自分も就職活動の時は「周りは内定もらっているのに、自分は何でもたついてるんだ」みたいな劣等感にさらされまくってましたね〜。今思えば他人の競争を意識しすぎていた感じですね。まあそんなこと言われてもついつい考えちゃうわけなんですけど。(¬_¬)
そんなアドラーによれば、
対人関係の軸に「競争」があると、人は対人関係の悩みから逃れられず、不幸から逃れることができない。
とのこと。
競争の意識があるとどうしても劣等感がつきまとうので、結果「全ての悩みは人間関係である」というところに繋がってくるわけです。ロジックとしてはなっとくできますが、それでも他人と自分を比べることを辞めるのは難しいのかなとも思ったり。
僕もこの本を読んで一年が経ちましたが、自分も競争を意識しない考え方は未だに苦手であります。職場でも成績が数値として表されたりしているので、正直意識しない方が難しいですね。まあこのへんは今後も考えを変えるトレーニングをまめにしていくしかないかな~と思ってます。
また良い劣等感で苦しくならない方法については、前回「落ち込みやすい人は目標の立て方が上手じゃないぞ」という話が参考になるかもしれません。
「他人の期待に応えよう」はストレスに!
アドラー心理学では「他人の期待に応えようとすると不幸になるぞ!だから応える必要はない!」というスタンスでして、実際に他人の期待に応えようとする人ほどうつ病になりやすいのは前回に書いた通りです。「まさに自分のことだ!」と思わずにはいられなかったのですが、アドラーもこの辺についてはしっかり触れていましたね。
アドラーによれば「他人の期待に答えたい」という感情は、承認欲求がベースにあると説いています。承認欲求っていうのはSNSで「いいね!」が来たとか、他人に褒められた時に満たされる感覚のことです。なんで他者から褒められたりする事で満たされるのかと言いますと、「自分には価値がある」と感じる手っ取り早い方法だからなんだとか。
「それがなんでいけないの?」という話なのですが、これは他者から褒められればテンションが上がる一方で、怒られればすごい凹んじゃうことになりやすいので、他者から否定されればされるほど、自分には価値を感じないといった感覚に陥りやすいんだそうな。褒められたら嬉しいと思い、叱られれば辛いなんてことはあるあるかと思いますが、このような他者からの評価で生きていれば必ず劣等感が付きまとうので、結果的に不幸になるということになりやすいとのことなんですね。
自分仕事は接客業なのですが、実際職場でもお客さんが喜んで帰ってくれるとすごく嬉しい反面、不満足に帰っていくとめちゃめちゃ凹むみたいな精神状態になりがちなので、僕自身も「他人の期待に応えよう」と思いすぎても、メンタルヘルス的に良くないなと思っている節もありますね。
そんなアドラーによれば、
このような考え方は自分の人生ではなく他人の人生を生きることになる。それはとても不幸にことだ。
とのこと。
他者の期待に応えたいという考えは、どうしても先に書いた劣等感に繋がってきやすいため、悩みが生まれやすいみたいです。人の役に立つことに喜びを感じる人はむむっとする内容かと思いますが、ようは人のため何かやろうとしすぎて、自分を犠牲にしちゃ良くないし、逆に自分本位すぎても良くないので、その辺のバランスをしっかり取ることが大事なんですかね〜。
他人から嫌われてもいい!という勇気を持とう!
劣等感や承認欲求などによって生まれる悩みが、人間関係がもとになっているというのは先に書いたとおりであります。アドラーによれば、これは「他の人からどう思われているのかを気にしすぎているから起きることなのではないか?」ということについても書いております。
例えば
- この人に嫌われたら出世ができなくなるかも
- あの子に嫌われたらいじめられるかもしれない
- 周りの空気を悪くしてしまうかもしれない
といった悩みは、日常生活を送っていれば皆さんの中にもあるはず。アドラーによれば、他者にどう思われているのかを気にしすぎても、悩みのタネが増えて、自分の人生があらゆる面で不自由になるとのこと。
だからこそ「嫌われる勇気をもって行動できれば、人生は自由だ!」というのがアドラー心理学のスタンスなりまして、実際に本文を参照すると
他者の評価を気にかけず、他者から嫌われることを怖れず、承認されないかもしれないというコストを支払わない限り、自分を貫くことはできない。
とのこと。
社会人になれば他者からの評価が常につきますし、周りに気を使うことも増えていくものの、自由になるためにはある程度嫌われてもいいという勇気をもつ必要があるわけですな。そうすることで人間関係によって伴う、他者との比較や劣等感、承認欲求が最小限に抑えられ、ストレスも緩和されるということなんですな。
しかしながら、これは他人が明らかに嫌がることをするということではなく、自分が最善だと思っておこなった行動について、他者から非難されようとも、貫き通せば理論的には自由ということになりまして、例えば
- プロジェクト案が非難されても、貫き通す
- 上司から仕事のやり方に指図されても、自分のやり方でやってみる
- 両親の反対されたけど、漫画家を目指す
という選択肢を取れば、失敗して周りの評価は下がるかもしれないけど、他人のコントロールされてないという意味では、人生の自由度は高くなるってことです。
別の心理学でも「幸せとは自分の選択で行動できることだ」なんて言葉がありますが、結局周りを気にしてたら、自分がやりたい行動が取れなくなって、不幸感がましてしまうってことなんですかね〜。
「結局自分のやりたいことをやればいい」なんて有りがちなアドバイスになりそうですが、「悩みの源は人間関係を気にしすぎることだ」ということを頭の隅に置いてもらえると良さそうです。
まとめ
そんなわけで、過去にお世話になった本に付いて、今読んだらどう感じるのかについて、書いていきました。アドラー心理学に科学的な根拠があるといわれると微妙なところですが、認知行動療法のテクニックも混ざってますので、メンタルヘルスの入門書としては非常に、いい本かと思います。
1年ぶりに読みましたが、やっぱりものごとって捉え方で変わるよな〜と改めて感じたいっぽうで、分かっていても捉え方変えるのってめちゃくちゃ難しいなと感じました。なのでこれからも根気よくこの辺のトレーニングをやっていこうと思います(T_T)
皆さんも良ければ「嫌われる勇気」を読んでみてくださいね〜。ではでは〜。