添加物が危険なのではなく、添加物について調べすぎるのが危険!というお話
みんながみんな添加物を警戒しすぎている?
添加物が概ねカラダに良くないのは確かなものの、個人的には「そんなにビビらなくてもいいのでは?」というスタンスでおります。
過去にも
といった感じの内容を書いたものの、いかんせん危険な印象が強くなりすぎている気がするわけですね。トランス脂肪酸のようなものは別なものの、この辺は人間を対象にした研究がほとんどないので、マウス実験から推測するしかないので仕方ないことではありますが。
添加物の危険性は正確には判断できないもの、今日は「添加物について調べすぎると、より危険に感じちゃうよ!」という心理学的なお話を書いていこうと思います。これを知っておくと、添加物のリスクを過大視しにくくなると思うので、良ければ参考に来てください。
内容はまたまたノーベル経済学賞受者、ダニエル・カーネマンの1冊からです。
添加物のデメリットを知りすぎると、リスクを過大視するぞ!
では始めに、添加物を使うメリットとデメリットをさらっと見ていきましょう。
ざっくりとですが、こんなところでしょうか。
添加物がないとお腹を壊したり、感染症にかかるかもしれないですし、かといって長期的に食べてると腸内で炎症が起こるかもしれないわけですね。
メリットもデメリットがあるものの、不思議なもので、食中毒を予防するメリットがあるのに、そこまで感じられないというのが人というもの。
人はネガティブな方に敏感なので、どうしてもデメリットの方を過大に見積もってしまう傾向にあるわけですね。
でもってさらに心理学的な話を進めていきますと、どうやら一般の人は専門家の意見を極端にしか判断できないという特徴があるとのこと。
事例を2つほど紹介しつつ、説明していくと
- エイラー事件:リンゴに散布された農薬(エイラー)をマウスに投与したところ、癌になることが判明する。人々がパニックになり、リンゴを買わない人が増え、しまいにはリンゴの販売が禁止なる。しかしながら、その後の研究でカラダには問題がないことわかり、農薬を気にすることはほとんどなくなる。
- ラブ・キャナル事件:埋めらた有毒な化学物質が雨が降るたびに漏れ出し、報道を通して人々がパニックに。科学者はリスクを過大視しすぎるコメントしたが、市民には意見は無視されるか、怒号を浴びせられる。その後は、大した健康被害はなかった考えられ、市民が問題を気にすることがなる。
といった感じで、小さなリスク(不安)が自分の中でいつのまにか大きくなっていったと思いきや、急に0になるといったことになるんだとか。
知らないことなら誰もパニックになるものの、詳しい専門家の意見も関係なくなっちゃうのが面白いところであります。
この事例を添加物の印象に当てはめますと、
- 添加物を危険だと考えている人は、添加物に関するメリット(食中毒の予防)を一切見出さない。
- 添加物は安全と考える人は、添加物に関する悪い情報(マウス実験での悪影響)をあまり考えない傾向にある。
といった感じで、100か0という極端な判断しかできなくなってしまうわけです。
確証バイアスの話でも触れましたが、添加物が危険だと思う人は「添加物は危険!」という情報ばかり集めて、添加物が更に危なく感じますし、逆もしかりということです。
著者のダニエル・カーネマンによれば、
エイラーの一件は、小さなリスクへの対応能力が私たちに欠けていることをはっきりと示した。私たちはリスクを完全に無視するかむやみに重大視するかの両極端になり、中間がない。
<省略>
利用可能性カスケードという社会的なメカニズムが重なったら、ささいな不安が巨大に膨れ上がることはもはや避けられない。
とのこと。
利用可能性カスケードっていうのは、先のように報道を通じて情報が広がるみたいな感じなんですけど、この流れから最悪の事態を想像してしまうのはわかっていても無理なんだそう。確かにわからないことならなおさら不安になりますもんね。
まあ添加物の例を一概に当てはめることはできないですけど、今回の教訓はとりあえす「添加物のメリット」と「添加物のデメリット」を主張する専門家の両方を当たった方が良さそうということですね。
自分もリスクの中間を目指せるように頑張ります。(`・ω・´)